2013年3月8日金曜日

『大きな木』The Giving Tree

The Giving Tree
by Shel Silverstein

『大きな木』
作:シェル・シルヴァスタイン
旧版 篠崎書林 翻訳:本田錦一郎
新版 あすなろ書房 翻訳:村上春樹
リンゴの木は少年が大好き。
少年は木の幹をよじのぼって遊び、木の枝にぶら下がればブランコになるし、お腹が空けば木になるリンゴを食べ、昼寝をすれば木が木陰を作ってやる。
少年が喜ぶのをみて、木はとてもシアワセ。

やがて少年が大きくなり、リンゴの木とあまり遊ばなくなった。
ある日、青年になった少年がやってきて、モノを買うのにお金が必要なので、お金をくれないかという。
木は、お金はあげられないが、自分の木になるリンゴを売ってお金にしなさい、という。
青年になった少年はリンゴを集めて売りにいってしまった。
木はとてもシアワセ。

またしばらくして、大人になった少年がやってきて、結婚して家族を持ちたいが家がない、家をくれないか、という。
木は、家はあげられないが、自分の木の枝を持っていって家を建てなさい、という。
大人になった少年は、木の枝を持っていってしまった。
木はとてもシアワセ。

ずーっと時がすぎ、老人になった少年がやってきて、どこかへ行きたいから船がほしいから船をくれないか、という。
木は、船はあげられないが、自分の木の幹を切り倒して、船をつくりなさい、という。
そして、老人になった少年は木を幹を切り倒し、船を作っていってしまった。
大好きな少年に与え続ける木は、とてもシアワセ…なんだろうか?
そして、与え続けられた少年は、いつか、その木の愛に気付くことはあるのだろうか?
自分の持つすべてを与え続ける木と、見返りを求めずに自分の身を削って愛情を注ぎ続ける世の中のお母さん達(私の母カズコも含めて)の姿が重なるようで、胸にグっとくるものがあります。
自分が母親になってから読み返してみると、やがて、このわが身を削って生んで育てている(いや、まだ育て始めたばかりの)わが息子も、この少年のように、いつの間にかワタシの手元から離れていってしまうんだろうな、なんて。

でもね、そんなにシンミリすることないのよ~。
子供達が会いに来てくれなくてさみしい、とか、木のように待つだけの受け身は、ワタシはまっぴらゴメンだもの。
木と違って、ワタシ達には“足”がある、クルマの運転だってできる。
子供達が世界の果てにいってしまったら、その世界の果てまで、追いかけて会いにいけばいいんだもん。
なんて、ちょっと論点がずれてしまったかしら。

絵本の裏表紙一面に、作者シェル・シルヴァスタインの写真。
よく見れば、目が優しそうなオジサンだけど、パッと見だと、子供、怖がるよね~。

0 件のコメント:

コメントを投稿